大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)3133号 判決 1970年11月25日

原告 太陽建設株式会社

右代表者代表取締役 米倉績

右訴訟代理人弁護士 坂本建之助

同 木村暁

右訴訟復代理人弁護士 河原正和

被告 富国生命保険相互会社

右代表者代表取締役 森武臣

右訴訟代理人弁護士 川又次男

同 糠谷秀剛

主文

被告は原告に対し、金一五三万円及びこれに対する昭和四三年三月一二日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを両分し、その一を原告、他を被告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金三〇六万円及びこれに対する昭和四三年三月一二日から完済にいたるまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、原告は宅地建物取引業者である。

二、原告は、昭和四二年七月中旬頃被告から依頼を受けて、同年一二月三〇日被告から訴外秀和株式会社に被告所有の左記物件(以下本件土地という)を代金一億五、三〇〇万円で売渡すに当り、その仲介をした。

(一)  東京都港区三田二丁目四一番一

(旧表示、同区芝三田一丁目四一番一)宅地 一八八・三六平方メートル(五六・九八坪)

(二)  右同町四二番一

宅地 一、一四五・〇五平方メートル(三四六・三八坪)但し実測面積合計一、四〇六・三一平方メートル(四二五・四一坪)

三、しかして、右仲介の報酬については、宅地建物取引業法第一七条第一項の規定に基く建設大臣の告示(昭和四〇年四月一日建設省告示第一、一七四号)による東京都知事の定めた額によれば、右取引額一億五、三〇〇万円の場合依頼者一方につき、

取引額二〇〇万円までの部分について一〇〇分の五、取引額二〇〇万円を超え四〇〇万円までの部分について一〇〇分の四

取引額四〇〇万円を超える部分については一〇〇分の三

と定められており、それを本件に適用すればその額は金四六五万円となる。

四、もっとも、原告会社は従来二回ほど被告会社へ不動産の買受を仲介したことがあり、この場合は何れも二分の割合の報酬を得ていたので、その点を考慮しその割合まで減額するとしても金三〇六万円を請求しうる権利がある。しかるに被告会社は原告会社の再三の請求にも拘わらず、言を左右にして支払わない。よって原告会社は右報酬金三〇六万円と、書面によって明確に催告した期限の翌日である昭和四三年三月一二日から完済まで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

と述べ(た。)

≪立証関係省略≫

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因第一項の事実は知らない。

二、同第二項の事実については、原告主張の日に被告が本件土地を秀和株式会社に売渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。右売買契約は原告と無関係に成立したもので、原告は取引の媒介をしていない。

三、同第三項は認める。

四、同第四項は否認する。

と述べ(た。)

≪立証関係省略≫

理由

一、原告主張のとおり被告が本件土地を訴外秀和株式会社に売渡したことは、当事者間に争いがない。

原告は右売買は原告が被告から仲介の依頼を受けて仲介したものであると主張し、被告はこれを争うので、まずこれを検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、

原告が不動産取引業を営む会社であること、

訴外岡村清は昭和四二年五月原告会社に営業部長として入社したが、同人はその以前被告が昭和三三年頃御成門所在の建物、昭和三五、六年頃豪徳寺所在の建物をそれぞれ購入するにあたり、その仲介をしたので、それ以来、被告会社の古屋哲男らの知己を得ていたこと、

昭和四二年七月中旬頃右岡村清が右古屋哲男(当時、被告会社の常務取締役)と電話で用談中、たまたま右古屋から被告が本件土地を売却処分してもよい意向をもっていることを聞かされ、高く買う人があったら世話してほしいといわれたこと、

そこでその数日後に右岡村清は被告会社をたずね同社経理部財務課長新津千歳に会い、本件土地の売買の仲介をさせてほしい旨頼み、同人から本件土地の簡単な測量案内図の交付を受けたこと、その際右新津課長は、今本件土地は被告会社に出入りの清水建設の材料置場として使用させているが、これは売買の話がまとまればすぐにでもどかすことができる等の説明を岡村にしたこと、

そこで、岡村は本件土地の買主を募集するため、訴外高木一郎ら約一〇名位の不動産業者に本件土地を取引物件として広告したこと、

一方、訴外秀和株式会社(以下単に秀和と略称する)はかねてからマンション建設用地を物色中のところ、同社に出入りの建築業者(不動産取引業を兼業)の一人である訴外株式会社大末組(以下単に大末組という)も、秀和に敷地の購入を世話すれば同地にマンションの建築を請負う機会の得られるところから、積極的にこれに協力し、昭和四二年九月頃、懇意の前記高木一郎によい土地があったら紹介してくれるよう口をかけていたこと、

昭和四二年一〇月はじめ、大末組は前記高木一郎から本件土地の紹介を受けたので、秀和に連絡したところ、秀和が乗り気だったので、前記高木一郎に対し、具体的に話を進めてくれるよう頼んだこと、

そこで早速右高木一郎は岡村清を大末組の不動産部長中村厳に紹介し、似後一〇、一一月の約二ヵ月、岡村は被告の意向を、中村は秀和の意向をそれぞれ打診しながら、右岡村と中村の間で取引を成立させるための接渉が行なわれたこと、最初被告は売値を坪当り四〇万円、秀和は賃値を三〇万円としていたので、接渉の中心はもっぱら代金額の調整にあったが、このため岡村はしばしば被告会社と連絡をとり、中村とも度々会談を重ねて、ようやく同年一一月末頃、代金を双方とも坪当り金三六万円で合意する見通しを得るにいたったこと、

そこで同年一二月はじめ、右岡村、中村両名は同業の溝口浩を同道して被告会社をたずね、同社財務課長新津千歳と会い、最終的に契約締結までこぎつけようとしたが、秀和と被告会社とは代金坪当り三六万円でよいものの、被告会社は被告の主張する右三六万円はあくまで全額被告会社の手取りでなければならないとの主張を固持するので、それで締結させたのでは、仲介業者たる原告の報酬の出る余地がないというジレンマに陥り、結局その日は契約締結にはいたらなかったこと、そうして岡村らとしてはしばらく冷却期間をおくつもりで、以後接渉を中絶させていたこと、

しかるに、同年一二月中頃、出入りの不動産業者である山口嘉三から本件土地の買受方を被告に対し別に申しいれている競争相手のあることを聞いた秀和は、同月二七、八日頃、社長自ら、取締役佐々木功を同道して被告会社をたずね、新津課長らと面談のうえ、本件土地を坪当り金三六万円総額一億五、三〇〇万円で買受けることに合意し、同月三〇日頃右代金の授受も了したこと(この売買契約の成立自体は当事者間に争いがない)、

以上のような一連の事実が認められる。≪証拠判断省略≫

右事実より判断すると、すくなくとも昭和四二年七月中旬被告会社新津課長が原告会社社員岡村清の訪問をうけ(ちなみに同日岡村清が原告会社の肩書入りの名刺を持参したことが≪証拠省略≫からも明らかである)、同人に本件土地の測量案内図を手渡した時点で、原告がもし適当な買主を被告に紹介して売買契約の締結までいたったときは、被告は原告に対しそれ相応の報酬を支払うべき旨の暗黙の合意が成立したというべきであり、また被告と秀和との最終の契約締結には右岡村は関与しなかったけれども、右契約が同年一二月末難なく成立をみるにいたったのは、同年一〇、一一月の二ヵ月にわたる右岡村の接渉によりその下地が出来ていたためと推認され、最終的に決定をみた代金額よりみても、右契約の実質はすでに同年一二月はじめ右岡村らが介在して成立直前の状態にあった当時のものとほとんど変りがないものとみられる。したがって、右売買契約は実質上原告会社員岡村らの仲介により成立にいたったものというべく、原告が被告に対し、右仲介に対する報酬請求の権利を有することがあきらかである。このことは、右契約締結にあたって他の要因、たとえば別の買主が現われたとか、山口嘉三の如き他の不動産業者の努力などがこれに加っていたとしても、結論的にはかわりないことだといわなくてはならない。

二、そこで、進んで右報酬の相当額について考察する。

さて、不動産取引業者の報酬の限度については、宅地建物取引業法第一七条第一項により都道府県知事が定めるものとされており、これにもとづき東京都の場合、原告主張のような東京都知事の定めた規則のあることは当事者間に争いがない。この規則により本件の報酬額を算定すると、取引金額が一億五、三〇〇万円であるから、その報酬額は金四六五万円となる。これも争いがない。

しかし、右規則は、業者が不当に多額の報酬を受領することを抑止する目的で、報酬の最高限度額を定めたものであるから、当事者がこれによる意思を有したとみとめられるのでない限り、業者は当然に右最高額を請求しうるわけではなく、当事者間に報酬額について合意のない場合、業者の請求しうる報酬額は、具体的にその場合における取引額、媒介の難易、期間、労力その他諸般の事情を斟酌して定められるべき性質のものである。

ところで、本件の場合、原告は岡村清が前認定の如く本件取引以前に二回被告が不動産を買受ける媒介をした際にいずれも取引金額の二分の報酬を被告から受取ったことから、取引金額一億五、三〇〇万円の二分である金三〇六万円を請求している。岡村の仲介によって被告が前認定の如く、昭和三三年頃御成門、昭和三五、六年頃豪徳寺に家屋を購入した際、岡村の所属していた会社(フジ信託株式会社、明治不動産)の被告から受取った報酬額がいずれも売買代金額の二分相当額であったことは≪証拠省略≫から明らかであるから、岡村がこうした従前の取引例と同率の報酬を期待したとしても、それはそれなりに理解できるところではあるが、岡村と被告との間になんら明示の報酬約束のなされた形跡のない本件において、単に従前に二回仲介した例があるからといって、それだけで報酬は従前の例によるとの暗黙の合意が本件の仲介に際してあったと断ずることはできない。殊に、≪証拠省略≫によれば、従前の取引例たる前記御成門の場合は、売買価格約一千万円程度の取引というのであるから、二分の報酬といっても、二〇万円程度の金額にしかならないわけで、本件とは必ずしも同日に談じえないものがあるといわねばなるまい。加うるに、昭和四二年一二月はじめ頃被告も秀和も共に本件土地の取引価格を坪当り三六万円でよしとしながら、契約締結にまでいたらなかったのが、外ならぬ原告の報酬問題であったこと前段認定のとおりである。これら諸般の事情に照すと、本件においては、売買価格の二分相当額をもって原告の報酬額とする黙示の合意があったとはにわかに認めがたく、また右金額をもって本件の相当報酬額と認むべき証拠も必ずしも十分でない。そこで、当裁判所は、むしろ≪証拠省略≫よりして、昭和四二年一二月一日頃岡村清が溝口浩を同道して被告会社を訪ずれ、同社財務課長新津千歳と面談した際、岡村が二分の手数料を希望したのに対し、新津課長が一分にしてほしい旨返答した事実、昭和四三年一月三一日頃、右岡村、溝口両名が本件報酬問題で右新津課長と接渉した際、岡村が、今なら一五〇万円でもよい旨申入れた事実の認められることその他前段認定の如き事態の推移等本件弁論にあらわれた諸般の事情を総合考察して、売買価格の一分、金一五三万円をもって本件原告の相当報酬額であると判断する。

三、≪証拠省略≫によれば、原告が被告に対し、代理人弁護士坂本健之助、木村暁を通じ、本件土地売買の仲介報酬として金三〇六万円の支払を請求する文面の内容証明郵便を昭和四三年二月二九日発送し、同書面が同年三月一日被告に到達したことがあきらかである。

四、そうすると、原告の本件請求は、金一五三万円とこれに対する右催告の日の後である昭和四三年三月一二日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を求める限度で正当であるが、これを超える分は失当ということになる。

よって原告の本訴請求を右正当の限度で認容し、他を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 海老沢美広)

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